リアスの風〔第1回〕
弁護士古今
「色とか恋とか云うことになると,欧州を席巻したるナポレオンでも,力,山を抜く項羽でも,大抵な所までは馬鹿をやるものですけれども」。これは明治の弁護士・花井卓蔵のある刑事事件における弁論の一説(「訟庭論草」)。現代の法廷では見られない雄弁です。
この人は,明治・大正の重大刑事事件で関与していないものはない,と言われる大弁護士で,後に国会議員になるまでに1万件以上の事件を手がけたといいます。例えば,渡良瀬川流域の村民が鉱毒のため田畑が疲弊し生活を脅かされ,その窮状を請願しようとしたところ待ち構えた警察隊と衝突し,68人が「凶徒聚衆罪」ともの凄い罪名で起訴された事件では,当時の富国強兵の企業保護に偏する風潮をものともせず,大弁護団を率いて争いました(この事件は誰も処罰されず終わったようです。)。
このように紹介しますと近寄りがたい聖人君子のようですが,豪快な人柄が後輩から伝えられています。
花井弁護士は,広島控訴院に行くときは東京から寝台列車に乗り,朝は広島を通り越し宮島の旅館で一風呂浴び,ゆっくり朝食を食べて広島の法廷に行くのが常であった,というのです。もちろん裁判所はしばらく待たなければなりません。他の法廷でも同様であったとか(小林俊三著「私の会った明治の名法曹物語」)。
のんびりした時代でもあったのでしょう。現代,気仙沼の弁護士である私は,裁判所の前の坂を自転車を押して登ります。古い法曹(裁判官,検察官,弁護士)が書いたものや評伝を読むのが好きです。
(平成21年8月4日,河北新報リアスの風に掲載したもの)
2009年08月04日