仕事をするな
仕事をするな・問題提起編
私はこの数か月来,しつこく考えているテーマが「仕事するな」である。
唐突かつ話しが大きすぎるが,最近では不況下の増税,福島第一原発の事故を経てもなお原発再稼働が進むなど,司法でいえば取調べの可視化,検察官手持ち証拠の開示問題,民事訴訟の証拠収集・執行分野における強制力・実効性の乏しさ,法曹養成の問題,挙げだしたらきりがないが,日本社会が取り組まなければならない課題ーしかし取り組みが上手くいっていない問題は数多い。
(もちろん,私から見て,であり,増税すべきだと思っている人や,取調べの可視化に反対する人にとっては,課題でも何でもない,むしろ主張者の運動をいかに阻止するのかが課題なのだろう。)。
乱暴なのは承知で書くが,このような問題の解決を妨げている重要な要素の一つが,我々実務を担う世代が「仕事をすること」だと思っている。
ここで「仕事をする」というのは,与えられた立場で,定まっている目標を目指し,そのために所与のルールを遵守して,関係各所と調整しつつ全力を尽くす,ということである。 各自の発言も立場をわきまえた,各役割の正当性を訴えるものであり,その局面において正当かつ合理的な発信・準備を続ける。
引き継いだ仕事について,これまで獲得してきたことから撤退するのは敗北であり,仮にいったん退却するとしても,意義ある代償を得なければならない。
そして,このような仕事ぶりが,OA機器の発達による精緻化された資料や,ITによる充実したコミュニケーションによりどんどん充実して,緻密なものとなっている。
以上が,いったい何が問題なの?という人は,私にとっては羨ましい人である。
実務を担う世代が,各自が全力で,現時点での立場における仕事の充実を徹底する社会,またそのようにしなければ評価が得られない社会,それは個別的局面における合理性・正当性を各自が主張する,立場上の弱肉強食なり保身なりしか考えていない社会ともいえる。
次に,私なりの解決編をまたアップします。
2012年08月06日