気仙沼ひまわり基金法律事務所復旧の記録
気仙沼ひまわり基金法律事務所復旧の記録
※震災の数か月後,会報に掲載したものです。東日本大震災のため旧事務所は全壊しましたが,仙台弁護士会の皆様のご支援により4月4日から仮事務所への移転・再開業を果たすことができました。
この場をお借りして,皆様に厚くお礼申し上げます。
気仙沼市・南三陸町を中心に,弁護士業務を通じ少しでも震災復興のお役に立てるようがんばることが恩返しかと思っております。
引き続き,被災地へのご支援をよろしくお願いします。
人間の環境への適応力は大したもので,私も,洋服屋の倉庫跡の事務所へ出勤し,泥付きの乾燥させたゴワゴワする記録をめくり,家族7人,1LDKのマンションで過ごすうち,以前の事務所や家のことなど忘れてしまい,ずっと前からこの環境で生活していたように思えてきました。
環境への適応とは,反面,苦しかったことを忘れることで成り立っているのでしょう。取材に来る方に被災直後の泥まみれの事務所の写真を見せる度,よくも移転などできたものだと感心する自分がいます。
平素からの準備に何か資するところはあるかもと思い,今回,当事務所の復旧の経緯を記す次第です。
私は石巻に出張中に被災したため,気仙沼に戻れたのは3月23日でした。
それまでの地震から10日ほどは,自分もそうですし,妻子・岳父らも避難所から関西へ移動させたり,車や物資等の準備をしました。
妻と車で気仙沼に戻ったのですが,それまでは,衛星写真でも事務所は残っているようで火災も免れたと見え,大きな心配はしていませんでした。ただし,事務所周辺は瓦礫ばかりで,誰も事務所が見える場所にすら近づけない,とのことでした。
気仙沼に着いた当日,たまたま,行きつけの酒屋のご主人にお会いでき,この方のお宅が旧事務所近くにあったため,翌日に一緒に事務所を見に行くことになりました。戻ってから1か月ほどは,知人のお宅に居候させてもらうことができました。
翌3月24日,瓦礫を踏み越え,膝くらいまでの浸水箇所をいくつも越えて震災後初めて事務所に行ったのですが,事務所は確かに残っていたものの,壁が一部屋丸ごと剥離しており,そこから大量の重油混じりの海水が流れ込んでいる,ひどい状況でした。
事務所は2階にあるのですが,椅子の座面くらいまで浸水したようで,パソコン類は水没していました。記録の流出はなく,また書籍類もほぼ無事だったのは幸いでした。 パソコンは専門の復旧業者に依頼し,費用はかかりましたが回復しました。
この24日から,私も三陸法律相談センターにおける震災相談に参加しつつ,また水没した自宅の復旧作業もしつつの,事務所の移転・復旧作業が始まりました。 引っ越し先は,先の酒屋のご主人が経営する,服屋の事務室スペースをお借りすることになりました。早期に電気,水道が復旧していたのが決め手になりました。 この移転作業自体は,要は緊急の引っ越しに過ぎませんが,
・ 数日後に道路が通れるようになったものの,重機作業が開始される午前8時前にトラックを乗り入れないと事務所に車を近づけられない。
・ そのトラックの手配自体が難しい。最後は,かねてリンゴ狩りに行っていた先からユニック車を借りられました。
・ 重油まみれの作業で,目や喉への負担が大きい。
・ 人手の問題。事務員らも家の事情でいつもは来られず,守秘義務を課しつつ,各位に協力をお願いました。
・ 平行しての,パソコン,電話,複合機,広告などの契約,また震災法律相談,自宅の復旧作業の継続。
等々,胴長を履き,肘までビニール手袋を着けての不慣れな力仕事の連続ですので,しんどい思いしかなく,そのためあまり覚えていないのかも知れません。
泥まみれになりながら,事前準備なし・自力で明渡し断行・整理しての保管までやる,というひどいものでした。
当事務所程度の零細企業にして復旧はこの有様ですから,一般企業,そして工場関係の復旧がいかに大変かは察するにあまりあります。
このように振り返りますと,やはり平素からの地元の方との交流がいかに大事かと痛感しました。
泥まみれの記録が多いので事務服での出勤を続けていますが,職業を通じて震災復興に携われる,大変ありがたい機会がいただけたものと,悪臭・ハエに辟易しつつも業務を再開しております。
気仙沼の復興の模様をまたお知らせしたいです。
※その後,平成24年12月末,現事務所に移転しています。
2013年05月11日