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「刑事弁護日誌」

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※季刊刑事弁護70号に掲載されたものです。

「『腰縄に手錠 留置者連れ避難』 津波が襲った宮城県気仙沼市では,川沿いの県警気仙沼署も被災。署員は濁流が迫る中,留置者を連れ何とか避難したが,庁舎はがれきに埋もれる惨状となった。(中略)緊急避難を告げる防災無線が鳴り響く中,担当者は留置者に腰縄と手錠をつけ護送車に誘導した。激震に続いて津波が来たのは約10分後。庁舎内にいた署員と留置者を乗せた車列は高台に向かったものの,道路が渋滞。濁流が川岸を越え,すぐ後ろまで迫った。(中略)庁舎は使えなくなってしまったため,現在は消防本部のビルで署の機能を維持,留置者は関連施設に収容した。」

平成23年3月16日付スポーツニッポンの記事である。石巻の避難所でもらったもので,震災時から気がかりだった,「留置者」の安否がスポーツ新聞で知れたわけだ。

3月11日,私は出張先の石巻市で被災し,水没した車を捨て避難したため,車の調達を含めた準備をして気仙沼に帰るのに10日以上を要した。

この被災・移動の期間中,勾留期限を迎える被疑者ら(気仙沼署在),裁判で争ってきた被告人ら(石巻拘置支所在),観護措置となったばかりの少年(仙台少年鑑別所)の安否や,手続がどうなったのかを知りたくはあったが,関係各署に連絡が付いて把握できたのは移動期間の中盤当りだった。

あのような大規模な震災により関係各署間の連絡も付きにくい中,手続がどうなったのかは知ってもらう意味もあるかと思い,紹介する。

気仙沼署に留置されていた被疑者らについては,上記報道のとおり無事避難はでき,翌日にも近隣の警察署で釈放されたそうだ(残る勾留期限内に,捜査を遂げることは困難という判断だろう。不起訴処分へ。)。釈放といっても,震災直後の交通事情からして帰宅は相当大変だったろう。後日,他の被災地の釈放を含め批判する報道がなされたが,当時の私としてはホッとしたり,被疑者らに心配を掛けたかな,という思いだった。少年も同様に,釈放となったそうだ(家庭裁判所は連絡が付かない私に代えて,急遽,別の付添人を選任し,緊急の滞在場所を確保させた。在宅のまま審判へ。)。

石巻拘置支所の被告人らは数日後,仙台拘置所に移った。震災が落ち着いてからも石巻拘置支所に戻されることはなく,私も接見には相当時間を割かざるを得なかった(刑事裁判は終結へ)。被告人らにすれば,報道で被災地の壊滅的状況ばかり知らされ,家族の安否を知れたのも相当後となったから,心配し通しだったろう。

3月23日に気仙沼に戻ってからは,浸水した事務所の移転・再開業に向けた,なかなか大変な日が続いた。当時は,車を流されたり燃料不足もあって,よく人が歩いているのを見たものだが(多くの地方都市同様,当地も車社会である。),その中にかつて刑事弁護をした方も見かけ,彼も無事だったのかと嬉しく思ったものだ。

昨年の季刊刑事弁護65号で「過疎地の弁護活動」として準抗告の取り組みや「コンパクトシティ気仙沼」の刑事弁護におけるメリットを紹介したが,震災後,私の刑事弁護への取り組みは変わってしまった。

被災した気仙沼署は,10月3日,洋服店片隅の我が仮事務所隣の,高校跡地にプレハブの庁舎を設置するに至ったが,留置場はない。仙台地方裁判所気仙沼支部の管内である,南三陸署も同様の状況である。当地の逮捕者は近隣の警察署に留置される運用となった。近隣と言っても車で一時間以上かかる。

そして,震災前と比較して,理由は明らかではないが,当地の逮捕者は激減している。私も,震災後の刑事事件受任はごくごく少ない。

気仙沼署の本庁舎が建設されるまで5年くらいかかるらしいが,また震災前のように気仙沼署で接見ができるようになった暁には,積極的に準抗告を申立てる取り組みも再開したいものだ。

2013年05月11日

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